空に映るハンカチ 前編
この世界には空がない。
2×××年。
僕らの町は海に沈んだ。
まるでそれが当たり前のことのように、僕らの町は沈んだ。
よくあることだ。
むしろいままでよく沈まなかった、とすらも思う。
この技術が発展しきった世界では、だからといって何が変わったわけでもない。
ただ、ただ、
空が消えた。それだけのことだった。
(今日も、つまらないだけの日々)
大学へいって、よくわからない授業を聞いて。
そんないつも通りのルーティンワーク。
だったはず、の日。
ふらふらと歩いていた僕は、大きな大きな家をみつけた。
(・・・綺麗な庭)
きちんと手入れされていて、とても美しい庭。
ご丁寧にティーテーブルのようなものまで見える。
(優雅だなぁ)
住む世界が違う。
これがいわゆる”豪邸”なんだろう。
ぼんやりとその家をみつめていたその時。
「・・・え?」
なんで、なんで、
「空が、見える」
ふと顔をあげると、そこには、水色の空。
「・・・なんで?」
でもやっぱり、それは空なんかじゃなかった。
よく見ると、それはただの大きな空色のハンカチ。
(なんで、僕は今これが空に見えたんだろう)
わけがわからない。
だけど、確かにあの時僕には空が見えた気がしたんだ。
「あ、すみません。それ、私のハンケチです」
(ハンケチ)
ハンカチをそう呼ぶ人を久しぶりに見た。
そう思いながらうしろをふりむくと、庭のむこうから品の良さそうな女性がでてきた。
(・・・確かに、この家の人だったらハンケチって言いそう)
なんて、どうでもいいことを考える、自分。
「本当にすみません。汗を拭こうと思ったら飛んでいってしまって」
「あぁ、別に良いですよ。おかげで、良いものがみられましたし」
「良いもの?」
「・・・空、です」
「え?」
首を傾げられる。
「空、みたいじゃないですか?このハンカチが飛んでいるところ。・・・僕、変ですかね」
「変、なんかじゃありません」
妙にきっぱりと言われた。
「あ、ありがとうございます」
「・・・私の夫も、そう言ってました」
「旦那さんが?」
「空みたいなハンケチだって。君は空が好きだっただろうって言って、私の誕生祝いにくれたんです。」
(・・・結婚してるんだ)
「だから、びっくりしました。夫以外にこのハンケチを空みたいだって言う方がいて」
「そう、ですか」
結婚してるんだ、ついそう思ってしまったのは、多分。
(・・・一目惚れ、していたから)
ふぅわりと笑うこの人に、今会ったばかりだっていうのに、僕は惹かれ始めていた。
「本当に、ありがとうございます。お礼に、よろしかったらお茶を飲んでいきませんか?」
「いえ、そんなたいしたことではないので」
「今暇をもてあましていて、誰かとお話したい気分なんです。・・・だめ、ですか?」
「・・・じゃあ、お言葉に、甘えて」
爽やかなハーブティーの味が舌をすべる。
「おいしい、です」
「よかった。自家製ハーブなんです」
「すごいんですね。この庭もきちんと手入れされてるし」
「すごいだなんて。暇なだけですよ」
それから僕と彼女は少し話した。
「え?そんなに近所に住んでるんですか?」
「そうですね」
僕の家は3軒隣の小さなアパート。
「あら、じゃあ、良かったらこれからも暇な時にお話ししてくださいませんか?」
「え、そんな、いきなり会ったばかりのこんな男にそんなこと言って良いんですか?」
「夫は、あんまり帰ってこない人なので、私とても暇なんです。夫と結婚してここに来たので、お友達もいないし。ちょうど暇してたんです」
「・・・じゃあ、お言葉に甘えて。あなたとお話するのは、結構、楽しいので、なんてなんか上から目線ですね。すみません」
「いえいえ、ありがとうございます。私も、楽しいので。・・・それに、なによりこのハンケチを空みたいだって言ってくれたことが、嬉しいんです」
「・・・そう、ですか」
夫がいない寂しさをうめるだけの”代わり”。
そんな言葉が頭をよぎるけれど、僕はそれでも良かった。
「・・・夫は、あんまり帰ってこないんです」
そう、寂しげに言った彼女の顔が、妙に僕の心に残った。